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    Ran Kazura

    Author:Ran Kazura
    こんにちは!

    このサイトでは普段のお仕事とは切り離して
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    現在東京都在住
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    趣味:バイク、、お宮巡り、空を見上げること。
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    不思議・不思議なこの世界・この宇宙 classic   (番外編) 『貴方は誰・・・』







    物事には何でも 『表と裏』 がある。

    陰と陽、男と女、火と水、光と影、善と悪・・・

    これだけではなく、この世の全てのモノには、それと対比するモノが必ず存在している。
    そしてそれらのモノは 『見方・角度』 を変えてみれば、どちらもが正でもあり負でもある! と言う事が出来るでしょう。 

    これも 『そんな考え方』 の 『ほんの一例』 例え話です。。。 







    不思議・不思議なこの世界・この宇宙
              
    (番外編) 『貴方は誰・・・』
                 










    不思議・不思議なこの世界・この宇宙 (その4) で、幽霊やそれに関わる事柄。 そして超能力等は、電磁場的な世界である 『方向』 としての五次元を考慮すれば、全て無理なく説明出来る! と考察を展開しました。
    その中で、一部の体外離脱者や臨死体験者の証言に、天国と思われるところの話がありました・・・

    『そこでは、全てのものと完全な一体感があり、自分は全体の一部でもあり、全体でもある。 そしてそこでは、自分を含めた全てのものが振動し、素晴らしい音程を奏でている。 それらが調和して聴こえてくる音楽は、今まで聴いた事がない程素晴らしいもので・・・その時神の存在を感じた・・・』 と言うものです。

    既にアップしている事なので、ココでは深くは触れませんが、同じ様な波長を持っている 『魂=情報』 は、同じ様なところに集まり、その集まった人格の性質により、その領域が他者から見て、天国や地獄と映るのだと言う趣旨の事を言いました。

    もし、先の文にある様な、善意だけの心が一体となったモノを、生きた人間が感じ取ったとしたら、一体どう思うでしょう? 『神様や天使』 に出会ったとは思わないでしょうか?

    現代でも、歴史的にも、そういったモノを感じて 『神、又は天使』 とした事例は、少なからずあるのではないかと考えています。 
    (私の考えの幾つかの道筋の中には、或はそれが全ての真実なのではないか・・・と言う思いも、切り捨てる事の出来ない、細い細い小道として存在しています)



    『そこでは、自分を含めた全てのものが振動し (周波数を持っているから) 素晴らしい音程を奏でている。 そしてそれらが協和して聴こえてくる音楽は、今まで聴いた事がない程素晴らしいもので・・・その時神の存在を感じた・・・』 

    『神の存在を感じた』 と言う事は、一体となった自分 (自分達) とは別に 
    『他者が存在する』 と言う事です。

    そして 『・・・それらが協和して聴こえてくる音楽は、今まで聴いた事がない程素晴らしいもの・・・』 と言う証言が多数ありますが、これに似た記述が聖書の中に見る事が出来ます。 


    『私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。 その裾は神殿に満ち、セラフィム (最上位の天使セラフィの複数形) が、その上に立っていた。 彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおの、その二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、互いに呼び交わして言っていた。 「聖なる聖なる聖なる万軍の主よ。 その栄光は全地に満つ」』(「イザヤ書」第6章1~3節)

    『聖なる聖なる・・・』 とは、神に対する賛歌だと言う事です。


    ならばこれは、臨死体験者や体外離脱者が 『神の存在を感じながら、個々の振動が協和して音楽に成っている』 と言う証言とあまりにも似ていないだろうか? 


    もし仮にその光景を感じ取った人が居たなら、イザヤと同じ様な印象を受けはしないだろうか? これはあくまでも天界=五次元の透視なので、見た事を直接三次元の脳は理解出来ずに心で直接悟った事を象徴して書いていると思われます。 
    ましてや、天使の羽も、天と地を行き来する! と言う意味で鳥を象徴して比喩された姿に過ぎないのだから・・・


    かつてアブラハムの前に3人の天使が現れた時も・・・
    『彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。 彼は見るなり彼らを迎えるため、天幕の入り口から走って行き、地にひれ伏して礼をした。 主よ (主の使いよ) お気に召すなら、どうか貴方のしもべの所を素通りなさらないで下さい・・・』(「創世記」第18章2節)

    そしてキリストの復活の際にも・・・
    『墓の中に入って彼女らは、右手の方に真っ白な衣をまとった若者が座っているのを見て・・・』(「マルコの福音書」第16章5節)

    どれも人が肉眼 (?) で見た天使には羽はありません。 
    つまり天使が地上に現れる時は、人間と変わらない姿で現れると言う事です。


    それに関してこの様な記述もあります・・・
    『兄弟愛が保たれます様に。 手厚く旅人をもてなす事を忘れてはなりません。 そうする事によって、ある人々は、知らずに天使達をもてなしました』(「ヘブライ人への手紙」第13章1~2節)




    さて・・・ココまで読んでくると、一つの疑問が生じます!

    それは、この三つの記述とイイ、先程の臨死体験者や体外離脱者の証言と、ヤコブの記述とイイ 『天使とは人間の清らかな魂の事』 なのか? と言う事・・・


    しかし、今回の話はそんなに単純ではない。 と言うより、偏りをなくして考えた時、 『ある一つの可能性』 が見えてきました。 自ら発想した事でありながら、その 『確信度』 は、僅かに1~3割。

    しかし考え様によっては、1~3割の確信度とは、 
    『可能性として、もしかしたらあり得るかも知れないな』 と言うに充分なモノとも思います。
    ですので、批判や抗議を覚悟の上で、お話を進めていきたいと思います。




    まず、天使とは何か? と言う事をお話したいと思います。

    よく世間で言われている 『愛のキューピッド』 が一般では天使の最もポピュラーな姿に思われていますが、実はこの 『キューピッド』 は、天使ではないんです!

    『キューピッド』 とは、ローマ神話の女神 『ヴィーナスの子供・・・!』
    このヴィーナスはギリシア神話の 『アフロディーテ』 と同一神で、その子供 
    『エロス』 は、やはり 『キューピッド』 と同一神です。


    一方の 『天使』 とは、旧約・新約聖書で言うところの 
    『唯一絶対神=ヤハウェ (私は在る、と言う意味)』 の、伝令・御使いの事を言います。 

    いつしか天使とキューピッドは混同される事になりました。 




    ところで! 天使にも階級があるんです! 
    それは三つの大きな階級があり、更にその階級毎に三つに分かれています・・・
    諸説によって多少の入れ替わりがあるのですが、大差はありません。



    上位三隊と言われる階級 『御父』 の神格を持つ

    熾天使=セラフィム。 

    智天使=ケルビム。 

    座天使=スローンズ。 




    中位三隊と言われる階級 『御子』 の神格を持つ

    主天使=キュリオテテス。

    力天使=デュナメイス。

    能天使=エクスシアイ。




    下位三隊と言われる階級 『聖霊』 の神格を持つ

    権天使=アルヒャイ。

    大天使=アルヒアンゲロイ。 

    天使=アンゲロイ。





    そして、これらの階級には、それぞれその階級の長がいました。

    中でも最も上位の熾天使=セラフィムの長ルシフェルは、その叡智も力も、正に神に一番近い存在でした。 

    低い場所に居る凡人が堕落したところで、たかが知れている・・・
    しかし、高い場所に居る人が堕落すれば、高い分取り返しの付かない程深く落ちてしまう・・・

    神の次に居たルシフェルも又そうだった。
    彼は 『自分には、神と違わぬ程の叡智と力があるのに何故神に成れないのだ』 と思い始める・・・神が居なければ自分がその座につける! と・・・。


    『貴方は心の中で言った 「わたしは天に上ろう。 神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山に座ろう。 密雲の頂に上り、いと高き方の様になろう」と。 しかし貴方は黄泉に落とされ、穴の底に落とされる』(イザヤ書第14章13節)


    そしてルシフェルは、仲間の天使を勧誘しはじめた。 
    心を惑わされ、ルシフェルの言葉に従った天使は、最終的には全天使の3分の1までになっていた。 
    (一説には半分とも言われるが、いずれにしても大軍勢です)


    遂にルシフェル軍が、進軍! それを迎え撃ったのが、

    大天使=アルヒアンゲロイの長、大天使 『ミカエル』 率いるヤハウェ軍。

    天界では想像を絶する戦いが繰り広げられ、結果・・・ルシフェル軍は敗れた。

    神に刃向かったルシフェル軍の天使は全て 『黄泉に、穴の底に落とされた』 のである。

      
    『勝つ力は無く、もはや天には身の置き所もなかった。 こうして巨大な竜、年を経た蛇、即ちサタンとも悪魔とも呼ばれ、全世界を惑わす者は、地に投げ落とされた。その使いの者達も、もろとも投げ落とされた』(ヨハネの黙示録第12章8~9節)


    また、この世に生まれる前のイエスが・・・
    「私は、サタンが稲妻の様に天から落ちるのを見た」(「ルカによる福音書第10章18節」) と言っている。

    そして、ルシフェルは、神を意味する神聖な 『エル』 を、名前から外され、
    『ルシファー』 と呼ばれる様になり、グランドサタンとなった。
    (グランドサタンは別の堕天使とする説もあります)
    使いの者達=ルシファー軍の天使も悪魔となった。




    ココまでは多少興味のある人であれば、知っている話です。

    実は本題はこれから・・・





    この戦いがあったのは、アダムが誕生した頃だと言われています。
    アダムの肋骨から生まれたエバは、後に邪悪な蛇=サタンに惑わされ、禁断の知識の実を食べてしまいます。 善悪を知る実とも開眼の実とも言われるこの実を、何故神は食べてはならないと言ったのでしょう? 

    その禁を破ったが故に、人間は働かなくては食べていけなくなり、いずれ死ぬ様になったとあります。

    では神は一体何を創りたかったのでしょう? 知識も与えず、働く事もさせずに、見方を変えれば家畜さながらの生活を、アダムとエバにさせていた。

    更に神は 『自分以外の神を拝んではならない』 『自分以外の神は全て異端である』 と、厳しく言っている。 それに背いたら、神は容赦なくその者を打つ (殺す) んです。 

    自分の言う事に従わない者には、恐ろしい程厳しい・・・ 


    人間でさえ動物に何か教えようとする時、虐待をもって教えようとはしない。

    しかし、神は意にそぐわなければ、例えそれが神の為にした事であっても、迷わずその者を殺す。 これはウザの例でも明らか・・・!

    またエジプトでの、エジプト人の男子初子の大量殺戮も然り・・・
    この事件は 『出エジプト記』 にあるのですが、これは明らかに、 
    『報復』 『仕返し』 『脅し』 です。 
    神が何故ここまでやらなければならないのでしょう?

    そもそも、この世界を創った 『全知全能の神』 ならば、神に従わない様な人間を何故創ったのか? 逆に言えば 『何故、完全には創れなかったのか?』 と言う疑問が生じます。



    振り返って、神に一番近い叡智と力を身に付けていたルシフェル・・・ 

    もしも・・・もしもですよ! 我々人類は彼 (ルシフェル) に騙されているとしたらどうでしょう?

    実際はルシフェル軍が勝っていたとしたら・・・

    負けた神の軍勢は、力を奪われ地に落とされていたとしたら?

    自分の創ったこの世界・人間を、神のフリをして天界に居座るルシフェル達の、道具にしてはならない! 自由にさせてはならない! と、ルシフェルへの抵抗として・自分の再起の希望として、エバ達人間に知識を与えたとは考えられないだろうか。



    思えば、歴史や各宗教聖典などに登場する神は、余りにも人間的過ぎやしないだろうか?

    私を拝む時にはこの様にしろとか、幡祭 (獣を焼いて神に捧げる儀式) をしなさいだとか自分以外の神を崇める人間を絶対に認めない姿勢・・・
    脅しと罰をもってしか、人間を導けない存在とは・・・これはある意味傲慢ではないのか?
    まるでどこかの、将軍様と大差ない様に思うのは私だけだろうか?

    これこそ、悪どく王座を奪ったルシファーの考えそうな事だとは思えないだろうか?

    勿論! 私は特別どの宗教にも入っていないが、神を尊敬申し上げている。
    あらゆる苦難・罰も、その人間の成長の為に神様が与えているとも思っている。
    ましてや、悪魔崇拝者でもない!

    しかし、神と言う普遍的な価値観も、角度を変えて見れば、こうも考えられると言う事。
    ある人が言う 『人間、寿命は決まっている! この世は修行の場で、死は年期明けの様なものだ』 と・・・
    ならば 『殺人者は、誉められるのか?』 寿命が決まっているなら、殺人によって亡くなった人にとって、その犯人が自分の年期を明けさせてくれる人! と言う事に成ってしまう。

    人間は誰も、宿題をもってこの世に来ると言う・・・
    殺人者はその人を殺す事が宿題なのだろうか?



    この事自体もまた、神による宿題・試練だと思う事も出来る。
    危険を察知しなさいと言う宿題・殺意を抑えなさいと言う宿題・・・

    私もこちらの考えが正しいとは思っています。
    毎日、生かされている事に感謝もしている。

    しかし心の 『どこかで』 神様はこんな矛盾をきたす様な事はしないのではないか?
    との思いがある事も事実です。


    皆さんはどうお考えだろうか。。。




    こんな事書いて、神様に怒られそうだ (>_<)








    今回も長くなってしまいました。
    最後まで読んで下さってありがとうございます m(__)m

    今回のテーマは下手すると 『こいつアブナイんじゃないかな?』 なんて思われてしまいそうですけど、決して・・・(多分^_^;) そんな事有りませんよ (^_^)







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