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    Ran Kazura

    Author:Ran Kazura
    こんにちは!

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    現在東京都在住
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    父と先輩 敬さんと映画 classic







    今回も、映画のお話! なんと連続になってしまいましたぁ (>_<)
    ですが今日は、今回紹介する映画そのものの内容より、それにリンクする事柄をメインに書いていきたいと思っていますので、よかったらお付き合い下さいませ (^_^)

    それと、写真は全てクリックで大きく成りますので、興味のある方は見てみて下さいね ^^





    父との限られた思い出の中に、父の少年時代の話を聞いていた事がありました。
    もう、23年も前! 私が14歳の頃、父が私にその話をしたキッカケは、こんな事から始まった・・・

    私が話を聞いていた当時、世間では丁度 『ツッパリ・ヤンキー』 等と称される少年達の、暴走族や校内暴力が流行していた時代でした。 (今から思えば、その頃がそういったモノの流行した、最後の時代でしょう)

    当時私は、世田谷の経堂にある、父の実家である祖母の家で暮らしていました。
    その辺りでは、松沢中学・緑ヶ丘中学・梅沢中学の各グループが共にライバル関係にあり、しょっちゅう喧嘩したりしていた・・・私の友達も皆、上の3中学に通っていました。

    ちなみに、私は不良ではありませんでしたヨ! 念のため (^_^)
    えっ? お前はどこ中かって? 私は上の3中学のどこでもありません。
    まぁその辺の事は、今後シリーズの中で追々書いていこうかなぁ・・・などと思っておりますので ^^

    まぁ、その頃は 『どこどこ中の誰々と、どこそこの誰々が、喧嘩してどっちが勝った』 とか言う話は、嫌でも耳に入って来ていたので、たまに父に会うと友達の話から、そんな話にもなったりするんです。
    すると決まって父は 『何を言ってんだ! そんな事! くだらない!』 と言うので、その事に対して、いつも反発を覚えていました。


    ある日、同じ様にそんな話になった時 (話の内容は覚えていません) 
    私は 『自分の事は悪く言われてもイイけど、友達の事は悪く言うな』 的な事を父に言ったんです! そうしたら、えらいケンマクで 『子供が何言ってるんだ! ヤクザもんじゃねぇんだよ!』 と怒鳴られた (>_<)

    ひえぇ~とか思っていたら・・・
    『喧嘩なんてモンは、そんなに甘いモンじゃ無いんだよ!』
    その時、父が言いたかった事を要約すると、父自身も若い頃は暴れ回っていた様で、その頃の喧嘩と言えば、正に生きるか死ぬかと言うモノ! だから、今時 (23年前当時) の子達が何をやろうがチャンチャラ可笑しい! しかし、自分がやってきてバカだったなぁと感じているので、お前がそこに近づく必要は無い! そして、もし近づくのであれば、一番強くなれ! 能書きを言いたいのなら、それからにしろ・・・! と言う事。

    当然、こんな事を聞かされて、『その頃』 に興味を持たない子供は居ないでしょう ^^
    聞きました (^_^)

    それによると、中学頃から父は、経堂では知らない人が居なかった程、暴れん坊だったみたいです。
    どれ位かと言えば、新聞や郵便配達の人が、父を恐がってナカナカ経堂へ来れなかった位!と言う事だそうで・・・今聞くと、ちょっと引いちゃう ^_^;
    もひとつオマケに、中学の頃の父の小遣い稼ぎは・・・大体、不良の小遣い稼ぎと言えば分かりますよね? カツを揚げちゃうんですけど、その相手が又引いちゃう ^_^;
    経堂にある農協大学の相撲部に、毎月ショバ代を取りに行っていたそうで。
    大学の敷地内にあるのに、そんな無茶苦茶なぁ・・・。

    今一、信じられなかった! そこで質問しました 
    『お父さんは、そんなに喧嘩強かったの?』 と・・・
    それに対して父は
    『まぁそうだなぁ、強かったって言えば強かっただろうな! 当時の喧嘩なんて言うのは何でもアリだから! 勝たなきゃ、こっちが半殺しにされちゃうんだから! 体は小さかったけど、そりゃ必死さ!』

    父の言うこの 『喧嘩』 と言うモノは、どうも子供同士の小競り合いを言っているのではない・・・
    当時、父は麻布中学に通っていたのですが、ある時、数人のヤクザと喧嘩になり、父は日本刀でその人達を斬ったそうです・・・昔の事ですから勘弁してやって下さい m(__)m
    当然、やられた側の仲間は黙っている筈も無く、仕返しに来ました。
    いくらヤンチャとは言っても、中学生です! 組織ごと相手に出来る程の力はありませんでした。

    その時、父の先輩が間に立ってくれて、相手と話を付けてくれたそうです。

    結局父は、この一件で中学を首になり、祖母の知り合いだった、当時の国士舘の校長に頼み、先の先輩も通う国士舘に入りました。

    私が12・13・14歳頃は仲間内では、国士舘の制服を着た人とは、目を合わすな! 
    と、言われていました・・・今から思えば、父の頃はもっと酷かったんだろうなぁ・・・と (>_<)

    そこでは、父と同じクラスに学年の番長が居て、新入りの父に絡んできたそうです。
    体は父よりも一回りも二回りも大きく、俺の靴を磨け! と言ってきたそうです。
    が・・・父がそんな事する筈もなく、教室で大喧嘩に・・・『しばらくして』 教室の前は黒山の人だかりに・・・ところがそれは、喧嘩を観に来たのではなく、勝敗の結果として、デカイ番長が当時は小柄だった父の前に這い蹲り、父の靴を磨いていたからだった。




    経堂の実家で、祖母と父






    (父と祖母・経堂の実家で)









    その後、父は新宿でそれなりに知られる様に成っていったそうです。
    祖母の話では、祖母が新宿の父の所に遊びに行った時、一緒に歌舞伎町を歩いていると、皆父に 『ご苦労様です』 とか 『お世話になってます』 と挨拶してきたとの事。

    どれも、私の生まれる前の話ですが、そう言われれば、私の小さい頃の記憶に、こんな事がありました・・・
    私は父に連れられて、新宿の飲食店に! その店の店主が 『失礼ですが○○さんですか?』 と声をかけて来た。
    『はい! そうですが?』 と答える父。



    経堂の実家で・・・





    (中央、父・経堂の実家で)







    何を食べたのかも覚えていないが、帰る時、その店の店主さんが 『○○さんから、お代を頂くなんてとんでもない! いつでも又お寄り下さいませ!』 と言い、お金を取ろうとしていなかったのを覚えている。 当然お金は払ってきました ^^

    又、私が子供の頃、経堂の商店街のお菓子屋さんでアイスを買っていた時、たまたま父が通り掛かり、私を見付けて声を掛けてきた時も・・・ 
    『君のお父さんかい?』 とお菓子屋さんに訪ねられ 『ハイ!』 と答えると、そのおじさんは・・・足を止めはしないものの、実家の方へゆっくりと歩きながら私を待っている父の背中に目をやり、今度は今私が買ったばかりの30円のアイスを包んでくれた紙袋に、手当たり次第にアイスを幾つも詰めて渡してくれました。 

    その時は何故そうしてくれたのか分からなかったけど、それ以降、私が買いに行っても、お金を取らなくなりました・・・祖母が知り、癖になるので、お金は取って下さい! 
    と言いに行き、お菓子食べ放題の夢は破れ去りました ^^

    私が12歳の頃にもこんな事が・・・
    商店街の中にゲームセンターがあって、よくそこに遊びに行ってたんです。
    当時、私は今とは違い父方の苗字を名乗っていたので、友達は皆、私を父と同じ苗字、○○と呼びます! それを聞いていたゲームセンターの店主さんが、『なんだ! 君は○○さんの子供さんか?』 と聞かれるので、ハイ! と答える。

    すると、ゲームをタダでやらせてくれる・・・
    でも、祖母から 『そう言う事は断らなきゃダメだ』 と言われていたので、ちゃんと断ってお金入れてやってました (^_^) 
    そこのおじさんが、『君の事を君の友達は皆○○! と呼び捨てにしてるけど (同じ年の友達なら呼び捨ては当然ですが) 昔は、○○! なんて誰も呼び捨てになんか出来なかったんだから・・・そんな事言えなかったんだから・・・』 と話してくれた。

    これらの話は、実際に父がブイブイしていた頃からかなりの時間がたってからの事。
    逆に言えば、父が幅を利かせていた頃を知っている人は、皆今 (23年前当時) でも、父を立ててくれていると言う事なのだと思う。

    幼い頃、着物はビリビリに破れ、髪は乱れ、鼻血を流しながら、土下座して父に謝っている、お相撲さんを見た事がある・・・どれくらいの番付の人かは分かりませんけどね ^^

    こうして書いてみると、改めて凄いなぁ・・・と思っちゃう。
    ただ、昔の不良はある程度、皆こうだったんじゃないのかな? とも思います。
    しかしどうですか? 凄いと思いませんか?


    しかし、そんな父にも勝てない相手が・・・!


    私 『それじゃあ、お父さんは負けた事無いの? お父さんより強い人は居なかったの?』
    その時、父が即答した
    父 『いや! 居たよ! 《敬さん=けいさん》って言う、物凄い人が居たんだよ』

    父 『・・・うん! あの人には敵わないよ・・・』
    それまで父の格好イイ話ばかり聞かされていた私は、いささかショックでした。

    私 『そんなに強かったの?』

    父 『強いなんてモンじゃないね! 化け物だよ・・・不死身なんだから! 本当に不死身だったよ、あの人は・・・』

    その時、父がそこまで言うんだから、きっとそうなんだろうと思い、次第にどんな人だったか気になってきた・・・当然の事ながら聞かずにはいられない!

    父の口から語られたその人は、正に化け物・不死身と言うに相応しい人物像だった。


    花形 敬・・・(はながた けい)



    TVのインタビューに応える花形敬01


    (TVのインタビューを受ける花形敬・本人)






    実は、父が先のヤクザともめた時、間に立ってくれた先輩とは、この人。
    父と同じく、実家は世田谷の経堂。 歳は父の3つ上で、友達と言うよりは、先輩・後輩と言う関係だったらしい。

    下北沢を拠点に遊んでいた喧嘩の強いお兄さん・・・
    『敬さんと、一緒にお風呂なんか入るだろ! そうすると、もう凄いんだよ!』
    と、父は顔をシカメながら言う
    父 『もう、顔も体も、全身傷だらけで・・・背中も刀傷が、もう無数にあるよ! 顔だって左の頬に大きい傷が有ってね! その傷なんて自分で切ったんだから!』 

    私 『なんで?』 

    父 『度胸試しだよ! タバコだって何だって平気で手で消しちゃうんだもの』 

    父 『喧嘩で付いた傷だって凄いよぉ・・・顎だとか額も傷だらけでね! みんな刺されたり、斬られたりした傷だよ!・・・それでも死なないんだから! 撃たれたって死なないんだよ・・・』


    これは、父が中学、花形さんが高校の頃の話です。
    その頃既に、ヤクザとの間に立って仲裁出来る程の、強さなり知名度なりがあったと言うのは、素直に驚きます。

    父 『敬さんの家のお庭に、麻縄を巻いた太い柱みたいな角材が埋まってるんだよ! 後輩は皆それを殴らされてたんだよ! 拳とパンチを強くする為に・・・だから凄いよ! その巻いてある麻縄なんて血だらけだよ!』

    父 『敬さんは、サンドバック叩いてたよ! でもサンドバックって言ったって、中は石なんだから・・・』

    父 『後輩連中が集まって、花形さんとお酒なんか飲んでたりすると 「お前とお前、喧嘩しろ」 だとか、言われて、負けたら花形さんに殴られるんだよ・・・』

    (しかし、基本的に花形さんは、弱い者には優しい人だった様で、特に子供には優しかったと言っていました)

    こんな話を聞いている内に、花形と言う人はどんな外見をしていたのか? と言う思いに駆られ、父に尋ねてみると・・・
    『とにかくキザな人だよ! アルカポネみたいな帽子あるだろ、それをいつも、こう斜めにして被ってるんだよ! 格好イイ人だったよ!』



    TVのインタビューに応える花形敬02



    (TVのインタビューを受ける花形敬・本人)









    私 『痩せてるの?』

    父 『痩せてないよ! あれは、普通の人の体じゃないよ! 凄いんだから・・・力道山みたいな体してるんだから・・・アレは普通の人間は敵わないね! だって力道山が、敬さんと喧嘩出来なかったんだぞ! 恐くて・・・』

    私 『え! なにそれ?』

    その頃、花形さんは渋谷にあった、東興行・・・つまり安藤昇が組織した、安藤組に所属していて、彼らの縄張りに挨拶なく力道山がキャバレーを開店。 当時、人気絶頂で 『無敵』 のチャンピオンだった為、安藤組を甘く見ていたらしい。 その態度への怒りと、加えて、その店の周りからの苦情・助けを求める声に応えるかたちで、花形さんが話を付けに向かった。 (安藤組は渋谷の街の用心棒の様な存在でもありました)

    映画 『安藤組外伝・人斬り舎弟』 より

    (菅原文太さん演じる日向 謙=花形 敬が力道山と対峙する場面)
    (映画中で、用心棒として出てきた組幹部が、実際には力道山でした)


    力道山側は、力道山と3人の弟子! その手には弾を込めた猟銃。
    しかし、花形さんの気迫に押され、4人は逃げ惑う事に・・・その瞬間、力道山の手が震えていたと言います。 結果、そのお店は、即撤退。



    逮捕される際の花形敬


    (逮捕された際の花形敬)












    『花形 敬』 と言う人が、力道山と本気で闘って、本当に力道山より強いかは分かりません。
    しかし、私生活においてスポーツマンシップなど、あまり無かったであろうと想像出来る当時のプロレスラー4人を、貫禄・気迫で上回ると言う事は、並大抵の事では無い。
    正にそれは、『無敵』 と 『不死身』 と言う称され方の違いとなって表れているのだと言える。

    しかし、何故 『花形 敬』 と言う人が、 『不死身』 と言われる様に成ったのか?
    と言えば、それには幾つかのエピソードが有るのだが、父曰く、花形さん一人に相手は数十人・・・当然相手は素手ではない! それでも、その連中は恐がって手が出せなかったと言う。
    仮に手を出したところで、勝つ事は出来なかった。

    花形さんは、その様な数え切れない程の修羅場を、平然と打ち勝って来た!
    そして驚いた事に、子供時代から生涯、喧嘩は素手にこだわった! と言う事。

    力道山の時も然り。 どんなに大勢が相手であろうと、どんなに相手が凶器を持っていようと、花形さんは素手で勝っていたのだ! 当然、刺されたり斬られたりするのだが、それでも必ず勝つ。

    そんな伝説の中に一番強烈なものがある・・・
    それは一時期、花形さんは、その強さが故に組の仲間からハミ出していた事がある。
    そんな時、兄弟分と感情の行き違いがあり、命を狙われた。

    ある日の夜、行き付けのスナックから出てきた花形さんを、兄弟分の所の若い衆が銃撃した!
    当たった弾は3発・・・左肩と、掴み掛かろうとして伸ばした左の手の平・・・そして、トドメの一発が左の脇腹に。

    『安藤組外伝・人斬り舎弟』より


    ところが・・・ところがですよ! 生きていたんです!
    生きていただけでは無く、撃たれたその夜の内に、なんと花形さんは、女の人を連れて飲み歩き、焼肉を食べ、エッチをし、明くる日・・・事務所で昨晩の出来事を話していると、ズボンの裾から、昨日の弾丸がこぼれ落ちて来たと言うから、尋常ではない!
    しかも、撃たれた時や喧嘩の最中でさえ、被っている帽子の角度を気にしていたと言う程、自分のスタイルに拘っていたらしい。

    少なくとも私は、37年の人生でこんな人間は見た事はありません!
    正に、漫画か劇画の様な話だけど、全て正真正銘の実話です!
    父はそれを間近で見ていました。

    父が、キザだと言い、不死身だと言った・・・
    力道山が震えて逃げた・・・
    数十人も居るのに、一人の花形さんに手が出せなかった・・・

    そりゃあ、こんな人が相手では、そうなるのも無理はない!

    (父からは、この他にも多数のエピソードを聞きましたが、書き切れないので省略しました)

    しかし、そんな花形さんも33歳の時、多摩川の土手で心臓を刺されて生涯を終えます。



    こんな話をしてくれていた父は、それから3年後・・・私が17の時に亡くなりました。 


    私が19歳の頃、ある友達と電話で話していると、相手がこんな事を言い出しました・・・
    『俺の友達に、俳優をやってるヤツが居るんだけど、そいつが今度映画に出るんだって!』

    私がどんな映画かと訪ねると・・・
    『陣内孝則が主役の 《疵(きず)》 って言うヤクザ映画で、何だか昔、本当に居た人の話なんだって! 花形ナントカって言う人のなんだってよ!』

    私 『えっ? 花形 敬の映画?』

    友 『あぁ~そうそう! 花形敬っていってたなぁ! お前そんな事よく知ってるな!?俺の友達はその人の子分役をやるみたいなんだけど、その人も本当に居た人で、○○さんって言う人の役だって・・・役が貰えて友達も喜んでるから観に行ってやってよ!』

    観ない訳にはいかなかった・・・友達の口から出たその名前は、なんと私の父だったのだから! 
    その友達に頼み、再度確認を取って貰ったところ、やはり間違いない! との事なので、私はその 『疵(きず)』 と言う映画を・・・今考えれば可笑しい話だけど、当時の自分なりに正装して観に行きました ^_^;



    疵

    映画 『 疵 』







    ストーリーは、大まかに言うと、下北沢時代から多摩川で刺されるまで。
    主演の陣内さんは、ちょっと迫力・貫禄不足の感は否めませんが、これはこれでありかな (^_^)

    劇中のエピソードは皆、父から聞いていたので、何だか初めて観たとは思えませんでした。 (兄弟分に命を狙われる事になった直接の原因の説明が、この映画では歪曲されている。 その辺の事は 『安藤組外伝・餓狼の掟』 と言う、やはり花形さんを扱った映画の方が正しく描写されている様に思います。 また、花形さん自身の人間像も、こちらの方に近かったのではないかと思われます)

    最近、機会があって、この映画 『疵』 のDVDを観たのですが、昔の印象と違って、今は、切ない話だなぁ・・・と思う。 それだけ成長したのか、歳をくったのか ^_^;


    そして以前は、ある面で恨み憎んでいた父の事を、この映画を通して思う時、 『しょうがない! 許してやるか!』 と、思わせてくれた様な気がする・・・きっと父も淋しかったんだろうと・・・



    疵3

    映画 『 疵 』









    今回の記事は、父の話なのか、花形さんの話なのか、映画 『疵』 の話なのか、よく分からなくなってしまったけど、書き終わって今思う事は、きっとこの記事は父の為に書いたのだと思う。

    但し! 今回の記事で書いた内容は、素直に凄いなぁ・・・
    とは思いますが、暴力や反社会的な行為は、どう言う理由であれ肯定されるべきモノでは無いと、私自身は考えております。


    最後になりましたが、今回の記事中の花形敬さんの画像は
    『juncaさんのブログ』 から、juncaさんの承諾を得て転載させて頂きました。
    juncaさんありがとうございました m(__)m


    今回も長い記事を、最後まで読んで頂いて、ありがとうございました m(__)m










    お父さん? 今は天の何処で何をしているのか・・・
    もう恨んでないから・・・大丈夫だから・・・
    安心して、あの世で楽しくやんな (^_^)/








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