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    Ran Kazura

    Author:Ran Kazura
    こんにちは!

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    現在東京都在住
    占い師、ドラマー。
    趣味:バイク、、お宮巡り、空を見上げること。
    好きな食べ物:お寿司、あ刺し身、麺類。
    嫌いな食べ物:思い付かないなぁ・・・。

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    告白自伝 『過去日記』 3歳(その1) classic







    告白自伝 『過去日記』 3歳(その1)




    たまご・・・
    あれは大きなたまごだ。。。

    < 夢 >  1972年3歳

    ふと気がつくと、地面から天井まで50m、いや、100mはあろうかと言う位の巨大な洞窟の中に、私は立ち竦んでいた。
    後ろを振り返ると、そこには大勢の人達がいる。
    それはまるでホノルルマラソンのスタート地点さながら、見渡す限り大勢の人達が集まり、何かの切っ掛けを待っている様だった。
    その数はと言えば、ホノルルのマラソンなど比較にならない程の膨大な人数。しかしその中に私の知っている人を探し出す事はできなかった。
    その事に気付いた途端私は、この閉鎖された巨大な空間と大勢の人達の中で、自分は独りぼっちなのだという思いで胸が一杯になり、それまでなんとか抑えていた言い様のない孤独感と不安感が込み上げてきた。
    それは泣く事もできない位の強烈なもの。

    3歳当時の私はほとんど毎日見ていたこの夢の中で、恐ろしい不安感と発狂しそうな程の恐怖を感じていました。

    洞窟の奥に目をやると、なだらかだがトテツも無く大きな坂が真っ直ぐに下っているのが見える。
    目で追うと、坂が下りきった先に大きく開けた空間があり、その巨大な大広間(?)の真中辺りに 大きな大きな 『たまご』 の様なモノが緩やかに脈打ちながら、とても柔らかいキャラメル色の光を放って、優しくこちらを照らしていた。

    その存在 (たまご) と、それから放たれる優しい光は、この夢の中の私にとって唯一の慰めであり、たった一つの頼れる存在の様に感じられた。

    言い様の無い恐怖に打ち震えるなか、私を含めたココに居る数え切れない程の人達全員が、やはり何かの切っ掛を待っている様で、見渡せばその人(?)達は皆、あの 『たまご』 に向かって立っている。
    そして何かとても 『大切な事』 を前に、皆緊張してイライラしたりソワソワしている様だった。

    振り返って再び 『たまご』 に目をやる・・・
    「あぁ、早くあそこ (たまご) に行きたいなぁ・・・」 あそこに行けばこの恐怖から逃れられる!何故だかそう思える。
    と、その途端ひらめいた 「そうか!この人達も皆あそこに行くんだ!だから合図を待ってるんだぁ・・・もう行ってもイイよ!って言う合図を・・・これは誰が一番最初に 『あそこ』 に辿り着くかの競争なんだ!」 と・・・。
     『ひらめき』 と言うよりはむしろ本能で知っていた事を『思い出した』又は『悟った』と言った方が正しいかも知れない。

    そしてもう一つ悟った事がある。それは自分が一番でたどり着かなければ、この身が危ないという事・・・

    再び目をやると・・・光を放ち脈打つ 『たまご』 が私を呼んでいる気がした。
    『おいで・・・おいで・・・』と。



    (つづく)     

    *当ブログ内の文章・画像の転用・盗作は禁じます。




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    告白自伝 『過去日記』 3歳(その2) classic







    告白自伝 『過去日記』 3歳(その2)





    一瞬・・・『よーいドン』 の声が聞こえた気がする・・・

    一斉に歓声ともザワメキともつかない声を上げて皆が走り出した。
    それを見て私も慌てて走り出す。

    その時の私の気持ちは、とにかく 『あそこ(たまご)』 へ行かなければ!誰よりも早く着かなければ!という一心だった。何故なら、そうでなければ、『この身が危ない!』 という事を直感して (知っていたから?) いたから・・・。
    その感覚は恐怖となって私に襲いかかり、必死に走る私の背中を後押しした。
    と、言っても周りの数万、いや、数億という人(?)達も、同じ恐怖を感じていたであろう事は、容易に想像出来た。


    遠目には脂肪質のように見えていた巨大な 『たまご』 も、近づくにつれて、その表面は青白く濁った半透明の寒天の様な物質(モノ)で出来ている事が分かってきた。

    大勢の気配を背中に感じながら何とか先頭を走っている。その差は数10センチか? 『たまご』 はもうすぐそこ・・・あと10m・・・5m・・・3m・・・
    勝利(?)を目の前に、すぐ後ろまで迫るライバル達の気配を振り切る様に、両手を大きく広げて、精一杯の力を振り絞り
    、飛び付く様にして巨大な 『たまご』 に抱き付いていった。

    「早く中に入んなくちゃ、他の人に入られちゃう・・・早くぅ!早くぅ!・・・」

    焦りながら、本能のままに、『たまご』 の表面に頭を強く押し付ける。
    しかし見た目の印象よりずっと弾力があり、表面に穴が開いて少しだけ頭が入ったとしても、その弾力で押し返され、穴もキレイに閉じてしまう。
    諦めず尚も必死に押し付けたり、体当たりをしたりする内、ようやく頭が中に入った。
    そして何とか肩位まで入れたので、後は足をバタバタさせたり体をよじったりしながら、どうにか全身中へと入る事に成功する。

    一瞬ホッとしたが、慌てて後ろを振り返ると、大勢の人達が中へ入ってこようとしているのが見えた。
    でも 『あの人達は、もうココに入って来る事が出来ないんだ』 と確認して、やっと安堵する。




    「うわぁ~」
    声を上げて目を覚ました私は、当時流行っていたキャラクタープリントの幼児用布団の中にいた・・・真夜中。

    心臓の鼓動は、まだドキドキと激しく打っている。
    横を見ると両親が私をあやそうと布団から体を起こしていた。
    その姿と豆電球の明かりを見て、私は夢から覚めたのだと実感し、そして安心する。

    今でこそ、『あの時の夢は受精の記憶だったのかも知れない』 と理解も出来る。そう考えれば夢の中での私の感情も辻褄が合う。
    しかしあの 『夢 (記憶)』 の意味も分からなかった3歳の頃、毎晩の様にあの夢を見ては、夜中に目覚めていた。 その度、幼心に私はこう思っていました。

    『ああ、またこの夢かぁ! 夢で良かった! もう二度とあんな思いはしたくない。。。』と。




    (つづく)     

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    告白自伝 『過去日記』 3歳(その3) classic







    告白自伝 『過去日記』 3歳(その3)




    当時私は、都内の大塚に住んでいました。その時代としては高層だったマンションの、少し広め (幼かった私がそう感じただけかも・・・) の1LDK。
    確か3階か4階だったか? 例の夢を見ていたのも、ほとんどがそこでの事。
    そしてその頃の事を思う時、忘れられない光景が目に浮かぶ・・・部屋のドアに付いている郵便受けの小窓から覗いた、踊り場・階段の光景が。。。

    2歳か3歳頃までは小さなアパートの一階に住んで居ました。
    窓の外には住民用の小さなお庭があり、よくそこで木馬や三輪車に乗って遊んだものです。
    夏の暑い日には、父が私に麦藁帽子を被せてくれたりして。
    でも当の私は 『この帽子チクチクするからイヤだなぁ』 と、思っていた・・・そして母はそんな私達の写真を、楽しそうに撮っていたのを覚えています。

    父と麦藁帽子の私



    36歳の今から思えば、本当に幸せな、幸せな一場面です。。。
    しかし、大塚のマンションに引越しする前後辺りから、次第に両親の仲は上手くいかなくなっていき、夫婦喧嘩も絶えなくなりました。
    父は暴力を振るい、母はヒステリーを起し物に当たる・・・もちろん子供がそれを喜んで見ている筈もなく、私はただただ泣く事しか出来ずにいた。

    おもちゃのプラレールを並べては、父や母と遊んでいた、縁日で買って来たヒヨコを大事に大事にコタツで温めながら育てていた・・・そんな家の中に、いつの間にか冷たい風が吹いていた3歳から4歳の頃。

    父と母はお互い家を空ける事が多くなり、その事で又喧嘩をする日々が続いていたある日・・・父の留守中、母の女友達が遊びに来たのだが、彼女は赤ん坊を連れていて、その子がグズリ出すと母乳を与えてあやしていた。
    その姿を見て、何だか凄く羨ましかったのを覚えている。

    その頃すでに、母は今の生活に嫌気がさし、父はおろか私の事も、うとましく思っていたのでしょう。幼いながら私も肌でそれを感じていました。
    だからこそ、だからこそ母親の腕に自分の全てを預け、何の心配も無く乳首に吸付いていたあの赤ん坊が、羨ましくてたまらなかった。

    友達は帰り、それと入れ違いに父が帰宅。そして言い争い・・・私をどちらが引き取るかと・・・。
    父が立ち上がり LDK へ歩き出すのを見て、泣いていた私は慌てて叫んだ

    私 『イヤだ!イヤだ!行っちゃイヤだ!おとうさん』

    父 『大丈夫だよ!トイレだから!』

    私 『一緒に行くぅ・・・一緒に行くぅ・・・』 歩み寄る私に父は

    父 『すぐ戻って来るから、お母さんの所で待ってなさい!』 すると母が私の背中に

    母 『お父さんと一緒にトイレ行っておいで』

    父 『いいから待ってなさい!すぐ戻るから』

    私 『本当に?』

    父 『本当だよ!トイレじゃないか!すぐココじゃないか』

    何故この様な会話になるのかと言えば、母からだけでなく、父からも
    『捨てる・施設に預ける・殺す・お前は生まれて来なければ良かった』 と、事ある毎に聞かされていて、幼かった私は両親それぞれに、いつ捨てられるのか、いつ置き去りにされるのかと、いつもビクビクしていたから。。。

    父がトイレに入り、気付けば私は母と二人きり・・・今なら甘えさせてくれるかも知れない。さっきの赤ちゃんの様に・・・なんでかそう思って

    私 『おっぱい欲しいぃ』

    母 『イヤよ!出ないからダメ!』

    私 『出なくてもイイ。おっぱいぃ・・・お願いぃ』

    母 『・・・・・・・』

    私 『お父さんが帰って(トイレから出て)来るまでぇ』

    母 『しょうがないわね!じゃあ、帰って来る迄よ!』

    私 『うん!』 私は母にしがみつき、もう優しさなんて存在しないと感じていた事を打ち消す様に、必死に母の乳首を吸い付きました。必死で・・・必死で。


    しかし父が戻ると約束どうり、それは終わり、両親は又口論を始めるのでした。
    私にとって、これが母に抱かれた数少ない想い出の最後です。


    そしてこの後に、話は郵便受けの隙間からの光景へと繋がるのですが、それはまた後篇で。。。




    (つづく)     



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    告白自伝 『過去日記』 3歳(その4) classic







    告白自伝 『過去日記』 3歳(その4)




    父が外出していた、ある日の夜。。。

    「母は、お友達の所へ遊びに行く」 と言って、私を一人残し出掛けてしまった。

    『ガチャ~ン・・・ガチャ!・・・』
    昔のマンションによくあった、スチール板のドアが大きな音を響かせながら閉められる。 続いて鍵の音。。。

    経験的に信じられないと分かっては居たものの、実の母親の言っていた 「すぐに帰ってくるから・・・」 と言う言葉を唯一の拠り所にして、自分一人ではどうする事も出来ない不安感に耐えていました。
    泣きながら背のとどかない窓へとよじ登り、道路を見下ろして、父や母が歩いて来やしないかと、ずっと眺めていた。
    父と母を呼びながら、その姿を探しながら・・・でも、誰も帰って来やしない。。。


    手の力が無くなり床に降りて、また両親を呼んで叫び泣く・・・そしてまた窓へ。。。
    どれくらいたっただろう? そんな事を繰り返しているうち、おトイレの大きい方がしたくなっていた。
    誰かが帰って来るまで、 『我慢しなくちゃ』 と思い、必死で我慢していたのを憶えている。

    何故かと言えば、当時のトイレは、ほとんどが和式で、洋式はまだ珍しかった時代。 体の小さかった私は、和式のトイレを跨ぐ事が出来なかったから。

    でも、もう我慢出来ずに、決心して一人でおトイレをする事に! 
    半ズボンを脱いで、パンツを脱いで、トイレへ向かう・・・が、やっぱり足が滑って落ちてしまい、跨ぐことが出来ない。
    トイレから出て来て、どうしようか? とベソをかいていた。

    そんな時ドアの外で物音が・・・
    私は慌てて駆け寄ると、ドアに付いている新聞受けの小窓から、外を覗きました。 するとそこには、父でも母でもなく、隣の戸への出前を終え、帰ろうとしている出前持ちのお兄さんが・・・きっと小窓から覗き、ワーワー泣いていたのでしょう。 そのお兄さんはすぐに私に気付き、こちらに来て小窓に目線を合わせてくれました。

    『ぼく、どうしたの?』

    この問いに私は要領を得ないながらも、必死に説明しました。
    そして、ドアの鍵を開けようと、精一杯の力を込めるのですが、そのドアの鍵は、金属製の四角いボックスの上に、楕円形のツマミが付いている物で、3才の子供には到底開く様な物ではなく・・・

    『ぼく、おなか空いてるか?』
    それにどう返事したのか覚えていませんが、きっと空いていると答えたのでしょう。

    『大丈夫だよ! お父さんもお母さんも、すぐ帰って来るからね! 泣かないで待ってるんだよ』 
    と言い残し仕事に戻っていきました。 階段を下りながら、何度も何度も振り返ってくれていたのを覚えています。

    また一人・・・
    それからどれ位たったでしょうか? 長く感じたけど、もしかしたら10分か15分位だったのかも知れないけど、あのお兄さんが又来てくれたんです。

    小窓の前にしゃがむと、手に持っていた包みを解いて、小窓からバナナを入れてくれました。 でも私はソレを受け取っても、食べる事はできなかった。
    孤独感と不安感で! と、言うのもあるかも知れない・・・しかし、それ以上にこんな事してもらったら、後で親に物凄く怒られる・・・結果捨てられる。
    そう思っていたから食べられなかった。

    その様子を見てお兄さんは
    『遠慮しなくてイイから食べなさい! 美味しいから食べな!』 と心配そうに言ってくれていました。

    『ぼく、おそば好きかい?』 そう! そのお兄さんはお蕎麦屋さんだったんです。 すぐ戻って来るからと言って、慌てて店へ戻ると、温かいおそばを持って来てくれました。
    お兄さんは箸でおそばをとって、小窓から入れてくれようとしたのですが、上手くいきませんでした。

    そうこうする内、父が帰ってきました。 父は、母が家に居るものだとばかり思っていたので、当然慌てて帰って来た訳ではありません。

    私はそんな父に泣きつき、父はおそば屋さんから、事情を聞き、事態を把握したのです。。。



    数日後、父が留守の間、まだ外は明るいと言うのに、母は部屋の窓とカーテンを締め切り、ドアには鍵とチェーンを掛け
    『お昼寝しよう』 と、私に言うと、私を布団に寝かし付けました。

    私は直感的に、 『寝ちゃダメ』 と言う思いにかられ、母の行動を見守っていると、母は台所へ行きガスコンロに火を点け、今度はその火を 『フーッ!』 と息で消したのです。
    『お母さんは私と心中する気なんだ』 と・・・幼いながら、そう思いました。

    私は起き上がり、母の側へ。
    『お母さん、危ないよ、死んじゃうよ・・・』  

    『いいのよ。 寝ましょう・・・』 私を布団へ引き連れる

    『お母さん!』 布団に入ってからも、私は言い続けました。

    その度に私の左隣に横になった母は、体を起こそうとする私を手で押さえて、無感情な口調で・・・
    『寝るよ! もう寝なさい!』 

    私は母の顔・天井・ガスを出し続けるコンロに目をやりながら、どうする事も出来ず、母の側にいました。

    部屋が、かなりガス臭くなった頃、玄関の鍵が開く音が・・・私は慌てて
    『お父さんだよ! 鍵開けなくちゃ!』 と、母を振り返りましたが、母はそんな私を制し、手で私を布団に押し付け、横になっています。

    が、父はドアにチェーンが掛かっている為、中へは入って来れません。
    ドアの隙間から、ガスの臭いと消えているコンロを見て、近くの電気屋さんからノコギリを借りて来て、チェーンを切り中へと入って来ました。

    私はその姿を見て泣き出してしまい、その後どうなったのかは、あまり覚えていません・・・







    父は、私が17の時に亡くなりました。 母は、私が3~4才の時に生き別れました。 今もどこかで元気にしているのか・・・

    私は、私の両親の事が元で、今まで自分の身に起こった事の全てを、ココに書くつもりです。
    多分時間は掛かりますが、書くつもりです。 それが自分の生い立ちへの仕返し・・・ケリをつける事になる気がするから。
    そして、それを読んで頂いた人の中で、一人でも、この様な 『大変稀な』 経験をしてきた人間も居るのだな! と、少しでも励みに感じてもらえたら、私にとって何よりの幸いです。。。






    (つづく)     



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    告白自伝・過去日記 classic 『番外編』







    今回は 『過去日記』 本編とは別に、ちょっと笑える? と言うか、ちょっと驚いたお話を・・・


    この間、お友達で今は主婦の 『竹ちゃん』 から私の携帯に電話が掛かってきました。 

    出ると 『竹ちゃん』 は、慌てた様子で

    『ちょっと蘭ちゃん! あんたスゴイわよ!』

    と、かなり興奮ぎみ・・・と言うか、なんだか嬉しそう・・・??



    話を聞くと、その日 『竹ちゃん』 は、自宅から自転車でちょっと走った所にある、牛めしの 『○屋』 さんに、パートの面接に行ってきたんだそうなんです。

    緊張して事務所に入ると、そこには自分より遥かに年下の、女性の店長さんが居たそうです。

    『えぇ! こんな若い子が店長なの・・・?』

     



    でも、彼女が電話を掛けてきたのは、そんな事を話したかったのではありませんでした・・・

    面接が進むにつれ、その場で採用と言う事になり、従業員用のマニュアル小冊子を使い、話は様々な注意事項の、その場での一応の確認へと移っていきました。

    身だしなみはコレコレこうで、マニキュアはダメ! お客様への言葉遣いは・・・

    まぁどれもこれも、飲食店では当たり前の事ばかりで、それ自体はどうと言う事は無かったのですが、最後に言われた事に 『びっくり』 したそうです。



    『お店に入った日は、食事もお店のメニューから、お好きな物を食べて頂いて結構です・・・でも、その際に、お渡ししたマニュアルにも、書いてありますが、お客様にお出しするのと同じ盛り付けとします!!』

    一瞬 『ポカ~ン』 としていると、店長は続けて・・・

    『昔、調理用の鉄板で、《お好み焼き》だとか《焼きそば》だとかを作って食べてた人が居たらしくて・・・ですから、食事は規定の盛り付けで!』 

    と注意されたそうです。


    『竹ちゃん』 は、その言葉を聞き、帰宅後慌てて私に電話してきた! 

    と言うわけ・・・



    勘のイイ方はもうお気づきだと思いますが、その 《お好み焼き》 だとかを作って食べてた人って、なんです 

    ^_^; アハハ・・・


    十七~八歳当時、私は世田谷の経堂という所にある、『○屋・経堂店』 で、バイトしていました。

    最初はお店のメニューを食べていたのですが、そのうち飽きちゃって・・・
    当時アルバイトは4時間働けば、メニューから一食食べられるという決まりでした。
    だから食べる筈の材料を使い、またはそれに外で材料を買い足して、色々と作ってました。 (*^_^*)

    ダッテ! お肉を煮る用の大きな鍋も、鉄板もあるんですものぉ。



    ある日私が鉄板でお好み焼きを焼いていると、当時の 『小野○店長』 が来て、

    「お前、何をやってるんだ!」

    「あ! 店長、お疲れ様です。 お好み焼いてるんですけど、店長も食べます?」

    「いや、お好み焼いてるのは見りゃ分かるよ! だからお前は何をやってんだって?」

    「はい、なんか飽きちゃったから、最近こうやって作って食べてます」

    「お前、そりゃまずいんじゃないのか」

    「はぁ」



    と、まぁ、こんな会話が繰り広げられました。
    その後も私は、お好み焼きの他に、オムライス・焼きそば・焼きうどん・牛めしの汁を使った肉うどん なんかを作って、時にはみんなで食べてました。

    ある日、小野○店長が私に・・・

    「お前、本社に報告したら問題になってるぞ! 今後そういう事があったらマズイから、もうやるなよ!」 と言うので、色々作るのは諦めました。



    という訳です  
    友達の彼女は私からその話を聞いて、知っていたので、その事を禁止するマニュアルの存在を知って、大喜びでした。

    「蘭ちゃん! あなた、○屋じゃマニュアルになるぐらい伝説の人なのね」

    と言って笑われました ^_^;

    なんだかあんまり格好のよくない伝説ですが、自分がなんとなくした事が、そんな風に残ってるなんてスゴク不思議な気分ですぅ。

    今では考えられない事かも知れないけど、そんなにファンキーな事だったのかなぁ?

    私にしてみれば、それ位のお茶目も出来ない、今の子達は、なんだか可哀想に思えるけど・・・とッ 名誉のために言っておきますが、決して私はそんな事ばかりしていた訳では無いですよ 同じ時間帯の中では、一番仕事も出来ましたし、社員に休憩や食事の時間を割り当てるのも私がやってましたから 

    (^◇^)えっへん。



     
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